色々なジャンルにまたがる様なつれづれのお話しです。
よろしかったらお付き合いを。
小林聡美の「かもめ食堂」が気に入ったので「めがね」も録画してあったのを
忘れていて、やっと見ました。
かなり前に井上陽水の音楽番組で小林聡美がゲスト出演していた。
大して気にしていなかったが、やはり女優だけあって綺麗で魅力的。
別番組でインドでのロケで飛び入りで現地映画の主演女優役にトライ!
監督が本当にインドで通用するから残りなさいと!多分お世辞とは思うが、
全ての要素を詰め込んだ幕の内弁当みたいなインド映画での役をこなすのは、
素人目にもかなり大変そうで、もの凄いプロ根性に感心々。
昔、出張時に現地で観た事があります。
そんな訳で「かもめ食堂」を観て、次は「めがね」を観ようかとなりました。
またまた別番組でアイルランドだったかのマイナーな山を登山する紀行番組を見た。
厳しい気候の中での振る舞いがとても自然でこれも気に入ったのでした。
「めがね」は何かの機会に観ていただく事にして、映画中にマンドリンが出て来ます。
観て聞いていてある人を思い出しました。
通称と言うかブランド名というか「横内の花子」さん。
国内に数人しかいないマンドリン制作者、でした。
初めての出会いは長野に越して来て勤めていたある日の会社での事です。
周りが森の会社なので我が儘を通して1Fの窓際が私の席でした。
有る時に会社にはそぐわない風体の男が建て屋の外をうろついています。
そして何故か私の席の窓に来て話しかけます。
この会社は何をやっているの? 一見するとペンションみたいな建屋でしたので。
電源装置を制作していると言うと、自分の励磁形スピーカーユニットに使える物は
有るかといきなり振って来ました、そして有りますよと。
会社の他の人は私達の会話を怪訝そうな目つきで伺っているのでした。
それから10年以上経った有る時に偶然に再開する事となります。
ウッドウイルを開業してしばらくしてから楽器の構造を勉強しようと近所の
ヴァイオリン工房に出かけて行きました。その方について詳しく話すとまた長く
なりますので、またの機会として、とにかく近くにオーディオに拘った人が居る
との事で、誘われて会いに行くと何とあの時の人、彼が「横内の花子」さんでした。
ヴァイオリン工房の方とは手持ちのチェロを調整していただく等のお付き合いは
有りますが、「横内の花子」さんとは深くお付き合いをする事となりました。
工学を志し、企業で働いていた頃の私にはおそらく全く理解出来ないタイプの、
お近づきになる事も無いタイプの方でした。
工房は開設してから一度も掃除をした事は無いのでは?と言う個性的なものでも、
マンドリンは綺麗で精緻で、試し弾きをする音色も独特の哀愁を帯びて、
何度も何度も聞かせていただきました。
その時の音色が「めがね」を観ていて思い出したと言う訳です。
彼の自宅に設置してある直径2メートルは有る朝顔形のフロントホーン(自作)と
オールJBLの2.1ch/3Wayシステム。
吹き抜けの天井コーナーからつり下げられて、
リスニングポイントに狙いを定めています。
10cmも頭が動くとスイートスポットから外れてしまいます。
身を沈める様なフルリクライニングシートは上向きにセットされています。
そこから湧き出るワーグナーの響きはそれはそれは凄い...
オーディオの法則は無視、感動的な官能的な音なのです。
その部屋にある名曲のCDを随分聞かせていただいたものでした。
年配の方でしたが純粋で無垢で芸術家と言うのですか、
若い頃は前衛舞台の演出家兼俳優、マンドリン製作の修行を兼ねて
演奏も練習してコンテスト入賞経験も。
エンクロージャーの不要振動やコンディションを見極めるタッピングと呼ばれる、
指でコツコツ叩いてその反応と音を感じる手法を磨き上げるのも彼から習いました。
理論的で物理的評価に対して、官能評価と言う判断基準の何たるかを
教えていただいた様にも思います。
ウッドウイルの代表作「ウイング」の性能を私が判断つかない頃に、
私の作品で唯一良いと評価していただき、
私自身が実感したのはそれから3年程経ってからでした。
彼の晩年、遺作となる作品製作中に「天使が降りて来た」と言っていました。
そんな馬鹿なとは思いませんでした。
そんな事も有るのかも知れないと思える様なそんな気がしました。
あのマンドリンの曲線を造る構造と直径二メートルの朝顔形フロントホーン、
スピーカーエンクロージャーのラウンド構造などは単純かなと思いますね。
エンクロージャーの要求は他に有るとは言え、未だ未だと強く思いますね。
「めがね」の舞台は綺麗な珊瑚の海です。
海が浮いて見える程のエメラルドグリーン、海に突き出した塊状の溶岩など、
見覚えのある景色が広がります。
映画の最後に波止場が見えて来ます。
そこは沖縄本島から鹿児島方面に向かう大型フェリーは接岸出来ずに
小型船に乗り換えて上陸する場所でした。
そこだけ波が荒く、小型船から手などを船外に出すと岸壁に叩きつけられて
大変危険で、仲間が係から酷く怒鳴られたあの思い出の波止場でした。
もう35年以上前の出来事です。
2013年9月15日日曜日
2013年9月8日日曜日
2020年 東京五輪開催決定
東京五輪開催決定おめでとうございます。
世界最高クラスのプレゼンがどの様なものかをライブで見ました。
感動的で情熱的でこれならもしかして!
朝のニュースで開催決定を知り、思わずやった!と嬉しくなりました。
前回の東京五輪は小学生で迎え、記念の千円硬貨を未だ持っています。
札幌五輪は地元北海道ではあっても当時の特急二時間の距離では
高校生の私には見に行く事は出来ませんでした。
1998年の長野冬季五輪はウッドウイル開業準備を始めた年でもあり、
月の半分出社、半分は開業準備と言う事も有り時間を取る事が出来たので、
地元住民として、学生時代の競技会や合宿等でお世話になった競技の
ボランティアとして、また観衆としても五輪を最高に堪能しました。
スポーツに親しんでいる方でも、そうで無い方も五輪の特別さを
是非知って欲しいと思います。
苦しさに耐えて鍛錬した体と精神力を世界の最高の場で競う姿には感動や
共感、夢や希望を見出す事が出来る様に思います。
特別に選ばれた別世界の人達の遠い世界の事と思う向きも有りますが、
連載中の朝日新聞の「患者を生きる」での五輪アスリート達の連載では、
ただ普通に毎日を生き続けるだけでも大変な難病や怪我を負っている人が、
奮起して頂点を極める姿には全く驚愕してしまいます。
その意味では別世界かも知れませんが...
そんな方達が世界から集まって来るのですから特別にならない訳が有りません。
会場へは是非とも脚を運んで貰いたいと思います。
年配の方でも若い方でも特別な感動を得られる事でしょう。
TVで観て分かるのは試合内容と結果です。
選手の気持ちや応援する方達の心の感動は充分に伝わっては来ません。
さて七年後にはどの競技を観戦しようかな?
ボート競技のエイトなどコース脇からのんびり双眼鏡で見るのも良し。
陸上のフィールド競技で棒高跳びや三段跳びなども面白そう。
水泳の平泳ぎ決勝には誰が出るかな?
今から楽しみですね。
2013年9月2日月曜日
日立 Lo-D HS-500 振動測定
ここのブログで継続的にも来訪者数でもおそらくベスト5に入るのが、
「日立 Lo-D HS-500」 に関する記事です。
名機の証とも言える現象でしょうか。
最近の記事で人気なのは「エンクロージャーの響き1~4」です。
そこで来訪者に喜んでいただく為に...と言うのは冗談ですが、
エンクロージャーの響きの続編はHS-500を題材にして
より実践的で具体的な形で考えて見ようかと計画しています。
その内容は
1.オリジナルのHS-500を用いたエンクロージャーの響きを
官能的表現では無く物理的に捉えて検証する。
2.HS-500からの再生音波形とエンクロージャー振動波形の比較。
3.エンクロージャー振動波形を音声データとして試聴可能とする。
4.「エンクロージャーの響き1~4」で研究して来た測定装置の延長である
振動波形を能動的に消去する振動キャンセラ-の効果を実証する。
5.HS-500再生音から「振動キャンセラ-」によるエンクロージャー振動を
キャンセルした再生音を試聴可能とする。
6.エンクロージャー振動がスピーカーシステムの再生音に与える影響を
目前に於いて瞬時に確認出来る事とする。
大体こんな予定で進めてみようと思います。
ウッドウイルでは既に「ウッドウイル版 HS-500」と言う「レトロフィット」と言う、
オリジナル改造版を製作済みで、更に高度な改造版の製作予定もある事から、
仕様決定に効果的に応用出来ればと考えています。
最終的には官能評価でのチューニングとなりますが、
その要素や経過を物理的に評価出来ていると言う事は大変重要と思います。
オリジナルHS-500を聞きながら機器の操作一つでエンクロージャー振動の
有無やその大きさをコントロールしながらその効果を確認ができれば、
お客様立ち会いで「レトロフィット」の効果を予測しながら計画が進められます。
勿論、他のスピーカーシステムにも同様に対応出来る事でしょう。
量産メーカーの様な数千万や億単位もの設備を持つ事は出来ないにしても、
あまりにも経験や勘と言う官能評価に頼り過ぎていた様にも思えます。
「エンクロージャー振動」の解析はその最大の物と言えるのでしょうが、
今後は音質に影響を与える要素を可能な限り検証して行きたいと考えています。
個人工房で行うので大きなコストはかけられませんし、時間も限られます。
測定装置は可能な限りの応用の利く機材の選別調達に努めていますが、
センサーやアクチュエーターは自前で開発せねばなりません。
自動化へのソフト開発はコスト高で断念して手動にする事とします。
試作はほぼ出来ていますが直ぐに完成形が出来る物でもありませんので、
忘れない程度に頭の片隅に置いていただければ幸いに思います。
2013年8月27日火曜日
近況?
8月25日(日曜)に久々のまとまった降雨がありました。
それは夏から秋への切り替えの日でもありました。
26日の最低気温は15度で、勿論窓を閉めて毛布を掛けて寝ました。
信州の高原(山間地)ではこんな日が訪れます。
もう一つ不思議な季節のうつろい。
お盆も夏休みも過ぎると音楽愛好家/オーディオ愛好家の皆さんは
未だとても暑いのに音楽の秋へと気持ちのスイッチが入れ替わります。
例年、梅雨明けからこの時期迄はお問い合わせにHP、ブログ等への
アクセスが急減します。
所が不思議にお盆明けの次の月曜からカウント数が増え出し、
お問い合わせも回復します。
季節柄か個人の方も法人の方も俄然、元気な様です。
未だ甘い実を実感させてはいただけませんが、
「アベノミクス」効果なのでしょうかね?。
期待は膨らみます。
今迄、
やせ我慢して某先生公開の品などは作りませんでした。
貧弱な才能の中からほじくり出す様に、
お客様に教えていただきながら、
オリジナリティの有る作品を作り続けて来ました。
そんな姿を見ていただいているのか、
身に余るお問い合わせもいただける様になって来ている??。
作品作り、困難さ、自身で決めて始めた仕事、
みんなまとめて面白いと思える今日この頃です。
それは夏から秋への切り替えの日でもありました。
26日の最低気温は15度で、勿論窓を閉めて毛布を掛けて寝ました。
信州の高原(山間地)ではこんな日が訪れます。
もう一つ不思議な季節のうつろい。
お盆も夏休みも過ぎると音楽愛好家/オーディオ愛好家の皆さんは
未だとても暑いのに音楽の秋へと気持ちのスイッチが入れ替わります。
例年、梅雨明けからこの時期迄はお問い合わせにHP、ブログ等への
アクセスが急減します。
所が不思議にお盆明けの次の月曜からカウント数が増え出し、
お問い合わせも回復します。
季節柄か個人の方も法人の方も俄然、元気な様です。
未だ甘い実を実感させてはいただけませんが、
「アベノミクス」効果なのでしょうかね?。
期待は膨らみます。
今迄、
やせ我慢して某先生公開の品などは作りませんでした。
貧弱な才能の中からほじくり出す様に、
お客様に教えていただきながら、
オリジナリティの有る作品を作り続けて来ました。
そんな姿を見ていただいているのか、
身に余るお問い合わせもいただける様になって来ている??。
作品作り、困難さ、自身で決めて始めた仕事、
みんなまとめて面白いと思える今日この頃です。
2013年8月15日木曜日
夏休みは無し
特別な事が無い限り恒例の夏休み無し。
連休の時にはお客様が遠方から来られます。
避暑とか、家族サービスとか、
理由は色々。
私の見る所では嬉しいかな
工房を訪れるのが目的の方が多い様です。
10年前は真夏でも窓を閉め切っていても
試聴するのに問題有りませんでしたが、
数年前からはサウナ状態になるので
エアコンを効かしています。
夏の、
お客さんが来て、
試聴する時だけの、
エアコンです。
今日の午前も見積に忙しく、
嫁さんの顔を見て急遽、
午後から軽くハイキング。
冒頭の写真は
爽やか信州を代表する様な
霧ヶ峰の端に位置する車山の山頂です。
丸い建物は富士山から引っ越して来た
気象用レーダードームです。
アニメの「風立ちぬ」に倣って
白い雲を狙って撮ってみました。
高原のハイキングは快適でした。
冬はスキー場となる厳寒の地です。
私達は冬でもここに来て冬らしさを楽しみます。
2013年8月11日日曜日
湖上花火とペルセウス座流星群
愛知県から友が来て信州の高原を案内した。
白樺湖の湖上花火大会。
ローカルで規模は小さいが人工物の無い湖面直ぐ脇で眼前に観る花火は
山並みに反射して音の迫力があり、薙いだ鏡の様な湖面には
湖面で炸裂する半円の花火が真円に見える華やかさがあった。
友人は肌寒い程のそよ風に吹かれて別天地の高原の湖にご満悦の様子。
毎年恒例の司会進行のお姉さんは人気者で愛嬌たっぷり。
何でも日本で初めて花火を鑑賞した徳川家康から今年は400百年めだとか、
金色に輝く花火は2000度で融けるチタンの反応する光だとか
情報提供してくれるのも楽しい。
ダイエット中の友にマックのバーガーを2個とポテトにコーラをご馳走して、
胸焼けしながらも楽しんでいた様子です。
変わって星見。
ペルセウス座流星群には未だ数日早いのですが、
天の川が盛大に見えるので夜中の田圃を星見に散策。
20分程で私は4個発見、友人は無し。
天の川が盛大過ぎて北斗七星が分からない程の星を見て、
眠いのと胸焼けを我慢して観た甲斐があったと悔し紛れに言っていました。
13日の3時にはもっと良い場所で再度、観る事としましょう。
信州の高原でも日中の陽光の下では結構暑いのですが、
これを書いている今の外気温は22度。
窓を開けすぎて寝ると明け方は寒かったりします。
こちらに越して来た頃には、夏でも半袖 Tシャツを着られるのは2,3週間でしたが、
最近では2,3ヶ月着ていられます。
温暖化の影響を庶民レベルでも感じます。
白樺湖の湖上花火大会。
ローカルで規模は小さいが人工物の無い湖面直ぐ脇で眼前に観る花火は
山並みに反射して音の迫力があり、薙いだ鏡の様な湖面には
湖面で炸裂する半円の花火が真円に見える華やかさがあった。
友人は肌寒い程のそよ風に吹かれて別天地の高原の湖にご満悦の様子。
毎年恒例の司会進行のお姉さんは人気者で愛嬌たっぷり。
何でも日本で初めて花火を鑑賞した徳川家康から今年は400百年めだとか、
金色に輝く花火は2000度で融けるチタンの反応する光だとか
情報提供してくれるのも楽しい。
ダイエット中の友にマックのバーガーを2個とポテトにコーラをご馳走して、
胸焼けしながらも楽しんでいた様子です。
変わって星見。
ペルセウス座流星群には未だ数日早いのですが、
天の川が盛大に見えるので夜中の田圃を星見に散策。
20分程で私は4個発見、友人は無し。
天の川が盛大過ぎて北斗七星が分からない程の星を見て、
眠いのと胸焼けを我慢して観た甲斐があったと悔し紛れに言っていました。
13日の3時にはもっと良い場所で再度、観る事としましょう。
信州の高原でも日中の陽光の下では結構暑いのですが、
これを書いている今の外気温は22度。
窓を開けすぎて寝ると明け方は寒かったりします。
こちらに越して来た頃には、夏でも半袖 Tシャツを着られるのは2,3週間でしたが、
最近では2,3ヶ月着ていられます。
温暖化の影響を庶民レベルでも感じます。
2013年8月4日日曜日
スタジオ ジブリ 風立ちぬ
久々に映画館に行って来ました。
最後に観たのは台風直撃の渋谷での「This is Bosanova」でした。
「風立ちぬ」は零戦の主設計者である堀越二郎の幼少期から敗戦までを
捉えた内容の映画です。レンタルビデオまで我慢出来ないのでジブリアニメを
初めて映画館で観る事となりました。
マンガやアニメなど子供のものと思っている方も多いかも?
私も仕事に追われ、仕事に燃えていた30~40年代はそんなものと、
気にもしていませんでしたが、ある時TV放送で「紅の豚」を観て変わりました。
アニメであっても何かを訴えるという表現手法に優劣は無いのだと思いました。
主人公の人生観、宮崎駿の飛行機に対する熱い思い、登場人物の
活き活きとした姿に圧倒されて感心して、それ以降はジブリファンになりました。
映画の中の堀越二郎、10代始めで飛行機の設計者になると決心します。
その思いは変わらずに専門教育を受けて実社会へ。
幸か不幸か日本は戦争へ突き進んだ時代で、飛行機の設計者には
夢を実現する環境は揃っていますが、それは殺戮兵器を生む結果となります。
その葛藤と夢の実現を淡々と描き続けるという、
ジブリ映画では初?の完全に大人の為のストーリーです。
堀越二郎は夢の中で設計を見直します、このブログの読者にも居られる事で
しょうが、私も設計図のミスを何度も夢の中で見つけた事があります。
それ程に集中して、好きな仕事であったのだろうと思いました。
私は子供の頃に作ったプラモデルの二式大艇(辛抱さんがヨットでの太平洋横断が、
事故で遭難して救助された海上自衛隊所属の救難艇US-2の前身)を製作した川西航空機のファンです。
同社は大戦末期には零戦や米国の最新鋭機をも上回る
戦闘機、「紫電改」を開発しており、数年開発が早ければ戦局が変わっていたという
程の高性能機で有りましたが、関係書籍や小説を少々読んでいて、
よく三菱重工業の零戦と比較して出て来ますので戦中の堀越二郎の立場が
どの様だったか少しは理解出来て想像しながらの映画を観たので
尚更に楽しむ事ができました。
丁度読み終えたばかりの小説、吉村昭の「関東大震災」でしたので、
震災時の映像には心が痛みました。
妻、菜穂子が結核で養生する高原病院は私の住む隣町の富士見市にあり、
私の住む団地にはその病院の医師も住んでいたなど、
何かしら意味深く観る事の出来たジブリの最新作でした。
お勧めですよ、夏の一時をお楽しみ下さい。
最後に観たのは台風直撃の渋谷での「This is Bosanova」でした。
「風立ちぬ」は零戦の主設計者である堀越二郎の幼少期から敗戦までを
捉えた内容の映画です。レンタルビデオまで我慢出来ないのでジブリアニメを
初めて映画館で観る事となりました。
マンガやアニメなど子供のものと思っている方も多いかも?
私も仕事に追われ、仕事に燃えていた30~40年代はそんなものと、
気にもしていませんでしたが、ある時TV放送で「紅の豚」を観て変わりました。
アニメであっても何かを訴えるという表現手法に優劣は無いのだと思いました。
主人公の人生観、宮崎駿の飛行機に対する熱い思い、登場人物の
活き活きとした姿に圧倒されて感心して、それ以降はジブリファンになりました。
映画の中の堀越二郎、10代始めで飛行機の設計者になると決心します。
その思いは変わらずに専門教育を受けて実社会へ。
幸か不幸か日本は戦争へ突き進んだ時代で、飛行機の設計者には
夢を実現する環境は揃っていますが、それは殺戮兵器を生む結果となります。
その葛藤と夢の実現を淡々と描き続けるという、
ジブリ映画では初?の完全に大人の為のストーリーです。
堀越二郎は夢の中で設計を見直します、このブログの読者にも居られる事で
しょうが、私も設計図のミスを何度も夢の中で見つけた事があります。
それ程に集中して、好きな仕事であったのだろうと思いました。
私は子供の頃に作ったプラモデルの二式大艇(辛抱さんがヨットでの太平洋横断が、
事故で遭難して救助された海上自衛隊所属の救難艇US-2の前身)を製作した川西航空機のファンです。
同社は大戦末期には零戦や米国の最新鋭機をも上回る
戦闘機、「紫電改」を開発しており、数年開発が早ければ戦局が変わっていたという
程の高性能機で有りましたが、関係書籍や小説を少々読んでいて、
よく三菱重工業の零戦と比較して出て来ますので戦中の堀越二郎の立場が
どの様だったか少しは理解出来て想像しながらの映画を観たので
尚更に楽しむ事ができました。
丁度読み終えたばかりの小説、吉村昭の「関東大震災」でしたので、
震災時の映像には心が痛みました。
妻、菜穂子が結核で養生する高原病院は私の住む隣町の富士見市にあり、
私の住む団地にはその病院の医師も住んでいたなど、
何かしら意味深く観る事の出来たジブリの最新作でした。
お勧めですよ、夏の一時をお楽しみ下さい。
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