2010年4月19日月曜日

単行本 ”僕のオーディオジコマン開陳” が発刊されました

2010/4/18 発売 僕のオーディオジコマン開陳 著者:田中伊佐資
発行:株ブルース.インターアクションズ


JBLの大型3Wayホーン形システムの製作過程をオーディオ誌の月刊stereoに連載して下さった田中伊佐資氏。
その記事のコラム”オーディオジコマン開陳”を再編集して単行本として発刊されました。
連載では紹介出来なかった事も含めてウッドウイル関連の記事が55ページ以上も掲載されています。
その他音に命をかけた男たちの悪戦苦闘記が盛りだくさんです。
本屋に立ち寄った時には忘れずにお読み(お買い上げ)下さい。


超弩級のこのスピーカーを製作する事となった経過とは?。
5年前の事、過労で体調を崩して東京まで治療に通っていました。
その場所は東京都新宿区神楽坂でした。
初めて行ったその街は新旧の文化が混じり合った小粋な場所でした。
治療の前後に街をぶらぶらしました。
すると何んと言う事か月刊stereo誌の音楽の友社がすぐ近くです。


私は気に入った作品が出来上がったら月刊stereo誌に掲載してもらおうと計画していました。
しかし、私がオーディオを始めた頃すでにあった専門誌です。
編集長は業界の生き字引みたいな方ですのでそこに売り込みに行くのは勇気が必要でした。


ちょうどその頃にウイングが完成していまして作品の用意は出来ていました。
治療に何度も通いながら音楽の友社の前を通り過ぎます。
きっかけはどうであれこれも何かの縁だとふっきって編集長へアポを取りいざ、売り込みに。
私はこれこれ云々こう言う者です、こんな作品が出来たので御誌で紹介記事に掲載してもらえないかと。


ふむふむ、丁度来月号に関連特集があるので掲載しましょうとあっけなくOKがでました。
2005年8月号に1ページフルで掲載していただきました。
案ずるより産むが易しではありますが、活動や作品を見切られては次の機会は来ないのですから、
こちらは薄氷を踏むようでひやひやものでした。


その記事が掲載された同月の事です。
その月刊stereo誌にコラムや特集記事を寄せているオーディオライターの田中伊佐資氏から連絡が来ました。
記事を見たので訪ねたいのだがと、反応の速さに驚きながら到着を待ちました。
そこからの詳細はこの単行本に詳細に記されているので是非続きを読んでいただきたいと思います。
ただ田中氏がただ者で無いのはウイングが10cm2Wayであったのに同構造で38cmを搭載すると決断した事と、
さらに大型のウッドホーンを加えた事でした。
自信作のウイングの可能性を見出してくれた訳で、以後同構造のシステムの受注が連続します。
未だ未完成の作品が4作品ほどあります。


その後も神楽坂への治療は続きましたが、この治療院がこの街にあったおかげで過去最大の
(機能も品質もサイズも価格も)注文をいただいたと話すと、過労でめげているのに
タダでは起き上がらないのね!と褒め言葉かあきれられたのか、分野が全く違うのに
待合室に以後連載となる月刊stereo誌を置いてくれたのには感謝でした。
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2010年4月8日木曜日

独立開業して11年目に入りました

2000年4月に開業しまして今月で11年目に入りました。


準備期間に2年間を費やしましたので併せて13年間この仕事を続ける事が出来ました。


皆様にはただただ感謝の気持ちで一杯です。




暖簾分けの仕事では有りませんでしたので顧客がゼロからのスタート。


それどころかこの世にお客様が存在するのかも分からずのスタートでした。


世の中はバブル崩壊後の不景気のどん底でした。


友人からは大博打を打ったなどと冷やかしとも嘲笑とも取れる声が聞こえてきました。




当初は毎日毎日数千円のMDFのオーダーキットばかりを製作していました。


完成品どころか組立させてくれる注文もありませんでした。


6千円のキットでも手を抜く事は怖くて出来ませんでしたので全精力でもって製作にあたりました。


その内にキットを組み立てた状態で注文が来ましたので1万円程の仕事が入るようになりました。


そうして大きなキットや中には塗装仕上げまでと言う仕事も入って来る迄に何年かかった事か。




休みは正月だけ、疲労困憊で寝込みはしましたが休みは取れませんでした。


疲労が重なり体調を壊した事も大作に取り組んでいる途中に大怪我も。


今でも勇気を持って休んでいる程度です。




でも駆け出しのこの頃の単純な作業の連続が私の腕を上げてくれました。


正方形の箱を1個作るのは簡単、ちょっと寸法が違っていても直角で無くとも歪んでいても気が付きません。


全く同じ物を二個作るのは想像以上に大変で、どのように重ねてもがたつきや直角がずれていては駄目。


協力者探しで分かった事ですが、家具製作10年以上のベテランでも実は出来ない人が大半でした。




拘りのお客様の目に留まり良い材料、機材でシステムを依頼されるようになって来て


少しだけこの仕事への実感が掴めて来たように思いました。


その時点で可能なベストの作品を合間に発表して来たのが良かった様に思います。


色々な媒体で紹介される事もあり、その意欲作が評価されて来たように思います。


その間にお客様の思いのこもった熱い作品がHPに掲載、蓄積する事も出来ました。


チューニングの基本とすべくコンサートに多く出かけてその音と感動を心に刻んでいます。




こんな事の繰り返しで今まで走って来ました。


少し前からは前加工などの協力者を募ったり製作者を教育する計画も進めています。


当方では意識せずとも、どうしても高度で高機能、高価格な仕事へ移行してしまいますので


その対策も兼ねての試行錯誤を始めています。




このブログを読まれている方は皆様、一家言の持ち主と想像します。


ちょっと出のメーカーや製品、技術などには慎重で疑り深く、そして興味津々です。


ウッドウイルはこの10年で業界の方達にやっと相手にされるようになって来ました。


各種問い合わせするとウッドウイル知ってるよ!この機材使ってくれない!などのお誘いとか


知らない方からの紹介で問い合わせなどの不思議な嬉しい体験が多くなってきました。


継続は力成りと言う事でしょうか。


製造業の空洞化はスピーカーも例外では有りません。


国内に試作特注するスピーカーの製作所が減った?。


個人工房が大手メーカーの試作や研究用の特殊作品の依頼を受けるのも日本の製造業の衰退化、


などと考え込んだりも致します。




開設当時は製作数は月間数十台が今では年間十数台程度になって来ています。


当然に作品1個あたりの単価は当初よりも一桁、二桁は上がってきています。


これは当方がコントロールで出来る訳が無く、お客様の希望がそうなって来ている結果です。


決して低価格の作品をないがしろにしている訳では有りませんが、今後は昨年発表した


100%バーチ合板ラウンドエンクロージャーなどが最低価格帯になろうかと思っています。




ウッドウイルはお客様の希望に従って一品物、注文製作に特化して中級機からハイエンド迄の


作品を今後も製作続けられればと願っています。


皆様、今後もよろしくお願いいたします。