2011年11月30日水曜日

由紀さおり 夜明けのスキャット

最近、由紀さおりさんが海外でブレークしている様ですが、私の思い出を少し。


中学生の頃は自作ラジオ(五球スーパー)で深夜放送を良く聞いていました。


一番良く聞いたのは渡辺貞夫さんの「ナベサダとジャズ」、その影響でジャズファンになりました。


当時は夜も10時を過ぎる頃から曜日違い毎に魅力的な番組が数多くあり、良く長時間聞いていたものでした。モコ/オリーブ/ビーバーの三人組の番組に、刺激的な平凡パンチパンチパンチ、最後はジェットストリームでそれから後は眠くて起きていられなかった。


夜明けのスキャットはそれらの時間帯に有った詩の朗読番組のテーマ曲として流れていました。当時新鮮なスキャット唱法、透明で綺麗な甘い声、なんて心地良い曲だろうと何時も思っていました。


それから数年後にラジオで由紀さおりと言う人が歌う「夜明けのスキャット」が発表。えっ!あの番組の曲じゃないか!たちまちヒットして新曲も多くリリースされました。


私が始めた買ったレコード盤のシングルはポールモーリヤの「シバの女王」http://www.youtube.com/watch?v=GAcPmqotWBY


次が由紀さおりの「夜明けのスキャット」、「手紙」など数枚でした。擦り切れる程聞いていましたね。母や姉に妹は怪訝な顔つきで見守っていました。因みに始めて買った30cmLPは赤い鳥の初アルバム、続いてボサノバやモダンジャズへと続いて行きました。http://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E6%AD%8C%E5%B9%B4%E9%91%91-1969-Vol-2-%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%EF%BC%86%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%83%E3%82%AF%E5%A4%A7%E5%85%A8%E9%9B%86-5/dp/B000H5VF5C/ref=sr_1_8?s=music&ie=UTF8&qid=1322616708&sr=1-8


50代の人に聞いたら、由紀さおりも夜明けのスキャットもあまり印象無いね!なんて言われて悲しかったけれど今は挽回中で嬉しいです。


話は変わるのですが、毎晩真空管が5本も煌々と灯るラジオを長時間聞くので電気代を気にする親からクレームが!その対策に直系1mあるコイルを巻き、高能率安物スピーカーを取り付け、アンテナは屋根全体(北海道の屋根はトタンです)とした、スピーカーを駆動出来る鉱石ラジオを完成させて聞いていました。


耳元で聞けば充分な音量がありましたし、中波放送であの当時の音を超える物は未だ聞いた事が無い程に素晴らしい音でした。


放送アンテナが近く障害物が無い場所にあったのが良かった。今人気の旭山動物園のある山の山頂に有ったのです。動物園はまるで「ひょっこりひょうたん島」の様な山にあります。旭川のある広大な盆地の外れに流れ着いたイメージです。そこの中腹に動物園が有り、山頂から電波が届く様な環境でした。


そうそう、旭山動物園が開園したのは私が中学生の頃でした。地元の人はペンギンとシロクマ以外は皆、凍え死ぬから直ぐに閉鎖されると皆思っていた。


「ひょっこりひょうたん島」の背景には延々と山並みが続き「大雪山」へとつながります。ひょっこりひょうたん島に桜が咲いても背景の大雪は残雪で真っ白。秋には平地は緑でひょっこりひょうたん島から背景は紅葉、大雪は初雪で真っ白。そんな景色を見ながら小中学校へ通学していたのでした。懐かしいですね、年上の女性の声に憧れていたませガキの思い出です。


 


 


 



2011年11月27日日曜日

雲一つ無い!

DSCN1095-1


未だ明るい内に仕事を終えて散歩へ。


寒い!毛の帽子を被って来れば良かった。


 


360度ぐるっと見渡すが本当に雲一つ無い快晴です。


真っ赤な夕焼けを見た後に北アルプスが浮かんで見えて来た。


山好きな方は分かると思うけれど常念岳/槍ヶ岳/穂高にキレットがくっきり。


左端には乗鞍岳が見えています。


 


雲一つ無いのは間違いでした。


沈んだ陽の方向に向かって茜色の微かな飛行機雲が数本見えて来ました。


あれはアジア方面に向かう便ですね、以前は良く乗っていたな...


 


仕事で汗ばんでいたシャツのまま出かけたから凍えて来た。


早く帰って風呂に入ろう!。



2011年11月20日日曜日

映画  ミルコのひかり

2005年のイタリア映画で実話を元にした映画です。


10才のミルコが家の銃で遊んでいて暴発、
殆ど視力を失い、法律で盲学校に入る事を強制されて
教会運営の寄宿舎に移る事となります。


個性的なミルコは盲学校の生活にも授業にも馴染めません。
授業と言うよりは職業訓練校の様な教程です。


学力、教養より何が出来るかを問われて、
電話交換手やタイピストの職業に就ければ
学校としては成功と100年も続けている
古い体制の盲学校、国の教育方針があるのです。


微かに光を感じるので反発するミルコは授業を拒否するばかりか
盲人として必要不可欠な点字の訓練も受けません。
でも直ぐに完全に光を失う事になります。


心の広い教師(神父)は彼の興味を巧みに利用しながら、
ミルコの将来を考えて、授業はいいから点字だけは
勉強する様に優しく接します。


その教師の授業で言う一言がミルコにも私にも共感を得ました。
有る音楽会に行ったのだと、演奏家は殆ど目を閉じて演奏している。
目を開けると音楽のイマジネーションが消え失せるのだと。
だから目を閉じて集中して演奏をすのであると。


人の感覚は視覚だけでは無い、五感が有ると!
他の感覚に目を開けと教師は言うのでした。


同じ頃、ミルコはテープレコーダーが学校にあるのを
発見して、音を録音してその凄さに見入ります。
100年続く学校の教育方針で季節の変化を詩にする事を
生徒に課せられます。


ミルコはそれを隠れて工夫してテープレコーダーで
音で再現して見せました。
校長先生は酷く怒ります。
しかしその教師は変わってはいるが悪くないと支持します。


結局は例年詩の朗読で終わる学芸会を
ミルコの才能と共感した生徒達と先生らが協力して
音と詩の演劇を見せて父兄から大喝采を浴びる!
父兄は閉ざされた子供の将来に明るさを感じたのでしょう。


そのミルコは現在、イタリア映画界を代表する音響の
プロデューサーとして活躍しているそうです。


人間の才能や感覚には驚く事ばかりです。
私も何回かこのブログで書きましたが、
演奏会で聞く時には殆ど目を閉じてしまいます。
目を開けると広がったイメージが消える、
あるいはやせ細ってしまうのです。


ピラティスと言う運動を習った時にも
身体感覚を意識しようとすると無意識に目を閉じたりします。
収穫時期の田圃を散歩していてある日何故か違和感を感じる。
何!と意識して分かったら、稲刈りされて地面が5,60cm下がっている。
その地面の高さの違いに戸惑っているのでした。


これは目を開けて散歩しているのですから見ています。
でも幾ら気配に気を配っても分からず、
目を閉じると風の音が来る方向の高さが違っている事に
気が付くのでした。


あと、遊びで春先はヒバリが田圃の上を風に乗って高く
羽ばたいているのを、目を閉じて探すのです。
目筈が(目を閉じていますが)つくとその方向で目を開けて
目のピント(距離を)だけを合わせますと、
6,7割の確率で見つける事が出来ます。
普通に目を開けていると5割がいい所かな?


不思議ですね。



2011年11月15日火曜日

出川氏(出川式電源)と前園氏(Zonotone)の両氏来る

本日はお二人のお客様を迎えました。


お一人は出川式電源の開発者である出川三郎氏です。


http://www7b.biglobe.ne.jp/~degawa/index.htm


ウッドウイルのアンプ(SATRI)は既に数年前から出川式電源に改造済みで、その内容は


田中伊佐資氏著の「オーディオジコマン」に詳しく載っていますし、ウッドウイルのHPの


「試聴室の案内」にも詳細がありますのでご覧下さい。


 


アンプは改造済みですがCDプレーヤー(以降CDP)は未だ手つかずで、その事を気遣って


いただき今回は改造前と改造後のCDPを持参下さりその音質差を体験しました。


常用CDPはマランツSA-13S2ですが持参されたのは2~3ランク下のクラスなのですが、


SA-13S2が完敗する曲がいくつも見つかり、投資した金額は何だったの??


 


その音質差が充分に把握出来るシステムと見た出川氏は秘密の最高クラスのCDPを


持ち出して来て試聴させて下さいました。その音の違いとは??


バックコーラスの一人一人の姿が見えてくる、透明で素晴らしく綺麗なボーカルに


更に丸さや艶が加わり声の輪郭がハッキリする。


それらを今でもかなりな高次元な再生音と勝手に錯覚して聞いていました私の耳に


気持ちの良い(かなり悔しいですが)刺激を与えていただきました。


 


その他にはアナログのRCAケーブルに用いているピンプラグのメッキ素材による音質の


差などを実際に聞き比べてみて、またまたその音の差(音情報量の差)に愕然。


恐らく近いうちにCDPとRCAケーブルに手を付ける事となりそうです。


その時にはまた報告させていただきます。


 


もう一方はなどと後出しするのも気が引ける現在はオーディオケーブル全般を扱っています


(株)Zonotoneの社長さんである前園俊彦氏です。


http://zonotone.co.jp/index.html


たまたまなのですが1,2年前にリファレンスとしているチェリストの藤村俊介氏が試聴に


来られる事が決まった時にオーディケーブルも一新してZonotone社のスピーカーケーブル


に変えてあったので少しは面目が立ちました。


お恥ずかしい話ですが社名のZonoは前園の園だと言う事が今日分かりました。


本人を前にして無知をさらけ出してしまいました。


 


前園氏はカートリッジのSPUで有名なオルトフォン社日本支社長、オーディオケーブルの


素材差による音質変化を早くから訴えて来られて来た方と、ネットで調べれば1日かかる


程の膨大な検索にかかる様な知識と経験を備えた方です。


 


今日は前述のピンプラグのメッキによる音質差について特殊測定器(私も作ります)を


使ってこんなのが駄目なんだと言う様なお話しをされていました。


今後は更に高音質のケーブルが発売されて来る事と思います。


 


前園氏はJBL38cmダブルウーファーでシステムを組まれており、私のJazz Machineに


興味を持たれたご様子て、昨晩設定したばかりの新型SSCとオーディオインターフェース、


FIREFACE-UFXによるロイ.ヘインズのグリーンチムニーを聞いていただきました。


付け焼き刃のセッティングには当然ながら鋭い指摘が下りました。


しかしながら趣味の話です、楽しく勉強させていただきました。


 


話の途中で前述の田中伊佐資氏著の「オーディオジコマン」表紙のシステムの写真を


見ていただくと、これは伊佐資の部屋じゃないか?(凄い!呼び捨てです)


ハイ!、そのスピーカーは私が作りましたと言うと、何だそうか!


話は聞いてるし音も何度も聞いている、そうか君か!と言う事になりました。


 


私のJazz Machineの完成予定図を見ていただき、完成したら「ダブルウーファーズ」


(JBL38cmウーファーを片チャンネル2個使ったシステムを持ち、メンバーに点検を受けた


後に参加が許されるクラブ)に入ろうかと話しましたら、口うるさい輩から何言われるか


分からんから覚悟しろと言われましたが、それはそれで楽しそうです。


 


今日はそんな人生の師ともこの道の師とも言える様なお二方に一度にお目にかかれる


幸せな日となりました。彼らに注目される様な作品を作り続けなければとの新たな思いも


内から湧いて来るのを感じた日となりました。


 


出川様、前園様、遠くまで来ていただきありがとうございました。


 


 


 



2011年11月10日木曜日

草刈オルガン工房(パイプオルガン)

7,8年前の事、お客さんの所に打合せに行きますと、近所にパイプオルガンを作っている


方がいますとの事、興味を示したら知り合いなのでと連絡を取り早速見学に訪れました。


私の工房から車で約30分程の山梨県の小淵沢にある草刈オルガン工房でした。


参考資料  http://www.sorgel.net/kusakari/index.html


 


コンサートでのあの荘厳な響き、高い所で近づきがたい様な高貴な方が演奏している様な


姿に一種の畏怖を感じていましたが、そのオルガン製作の現場ですから子供が山程も


積み上げられたおもちゃ工場に入って行った様なものです。


 


初対面なのに主宰する草刈さんは私の興味に快く応じて下さり構造や製作手法などを


丁寧に説明して下さいました。草刈さんはスピーカー製作の経験があるそうで、


その方面の知識もかなりありそうです。


 


音楽/音/巨大な木製構造物と興味津々ですから私は質問を矢継ぎ早にしました。


少しはオルガンの基本構造や木工や音響の知識があると見ていただけたのか、


かなり細部まで分解して見せていただき感激したのを良く覚えています。


 


その近くにフィリア美術館という何と草刈工房のオルガンが設置してあり、不定期ながら


コンサートを開催していまして、次のコンサートに行ったのは言うまでもありません。


この美術館で演奏録音された古楽器によるバロックコンサートのCDも所持しています。


http://www.philia-museum.jp/


 


その工房へ最近またお邪魔しました。前回の質問の時に特殊な木工加工をしているのを


聞いていたからでした。常識的なスピーカーでは決して用いないであろう筈の特殊加工が


必要になったからで、海外の専門書では勘所が分かりません、経験者に聞くのが一番です


その旨伝えますと、覚えていて下さりまたもや親切に、実際に加工までさせていただきました。


その特殊加工を施した作品はもうしばらくしましたら紹介出来ると思いますのでお待ち下さい。


 


お弟子さんがいまして休憩時に話をしますと、長野県の技術専門学校出で共通の先生を


互いによく知っており、何と削ろう会と言う主に鉋や手工具を極限まで使いこなす事を


目的とする全国的な会への参加やスピーカーを製作していると言う事を先生から聞いていて


ウッドウイルのHPを既に見ていると言う事が分かり驚きました。


 


更にはHPに掲載している作品例のBoxy-50の依頼者さんは都内の教会で草刈オルガンを


設置していてお会いした事が有ると後で聞きまして、何とも不思議な縁だなと思っています。


 


下記の写真は訪れた時に撮らせていただいた制作中のオルガンですが、1.8mの私が


上部を見上げる様な大きさで、これが個人の家に設置されると聞いてびっくり!。


音楽家の世界の事は知りませんが、オーディオ愛好家でも200インチプラズマTV


(200インチですよ)を設置した壁面が、まるで小さな絵を飾った程度の大きさにしか


感じられないような部屋というか空間で聞いているお客様もいますので、


世の中は広いです。とにかく教わった特殊加工をマスターしなければ。


  DSCN1033


 



2011年11月6日日曜日

2011東京インターナショナルオーディオショウ

2年ぶりにインターナショナルオーディオショウを視察してきました。


会場は東京国際フォーラムです、フォーラムの言葉通りに集会や広場を指す意味から、


このイベントは防音された大小の個室にて各メーカーのブースが展示されますので


他の会場の様に騒音に悩まされる事無く試聴できる特徴が有ります。


 


もう一つの特徴はインターナショナルと言う事も有り、海外の有名有力なメーカーの代表や


役職者が現地入りして直接製品に関わる解説を行う事です。


ジャンルは違いますが国内の展示会などでは若手の技術者や営業担当が製品説明に


終始するのとは違い、欧米では自社ブースには責任を持たされた相応の役職者が配置され


製品説明後には即、商談に移りその場で決めるのが普通なので、その意味で欧州の


雰囲気に近いですが、エンドユーザー対象のオーディオショウですのでその場で


即断販売成立する事は無いでしょうから幹部達は歯がゆい思いをきっとしている事でしょう。


 


さてショウの内容ですが下記のURLから展示メーカーへリンクすれば情報が得られますが


http://www.iasj.info/event.html


私が気が付いた事をスピーカー限定で書き込んでみたいと思います。


 


.JBLDD66000 ペア700万円


会場セッティングが充実していた様ですので能力を引き出せていた様に思います。


低いクロスで慣らすコンプレッションホーン型でしか出し得ない中高域は圧巻ですが、


大入力の低音成分を含んだ音源では低域がぼやけるのが難点。


 


.TAD CR-1 他 ペア385万円


これもなかなかリアルに音が出ていました。ボーカルなどの音像が自然で色気がある。


逆にその他大勢の大型ハイエンド機は音像無視で作っているの?と不思議。


 


.TANNOY KINGDAM ペア480万円


試聴会が始まる前のBGMの音が良いので座って待っていましたが、某有名評論家先生の


選択したソフトでは演奏はともかく音の評価は出来ませんでした。デザインは個性的でその


意味で興味津々。他社の製品にも有りましたが低域のコーン振動板の音色と同軸のホーン


型の音色が高域になるにつれて違って聞こえるのが気になり、設計の難しい所だなと


同情いたしました。同音源でCDとガラスCDの比較ではやはりガラスが断然良かった。


 


.PIEGA MasterONE ペア530万円


同軸リボンツイーターと総アルミ構造エンクロが特徴でウッドウイルの思想と真逆です。


リボンの音色は好きですが、やはりウーファーの音色との違いが際立って不自然。


これでこの価格はうーん?。


 


.MAGICO Q3 ペア450万円。


金属振動板に金属エンクロでうわぁーと思って見ていたら試聴が始まった。


流石に少し堅い音ですが、上手くチューニングしている点はPIEGAと大違い。


バランスが良いのでこれからは気に止めます。


 


.DALI HELICON MK2 ペア110万円


残念ながら音は聞けませんでしたがユニットが気になり掲載しました。


低域はペーパーコーンにウッドチップのブレンド/ソフトドームにリボンツイーター。


ユニットの分解モデルの展示につい目が行ってしまいます。


 


.ortofon カートリッジその他


スピーカーでは有りませんがアナログプレーヤー関連が目を引いたので書き込みます。


試聴に使っていた曲が偶然にもゲイリー・バートン(ビブラフォン)でした。彼の柔らかめの


演奏が更に滑らかに鳴っていたのには好感が持てます。ミルトジャクソンに匹敵する


ジャズマンはいないのかと高校生の時に見つけたLPは未だ健在です。


それにしてもアナログプレーヤー関連の機材は高価ですね。


 


 


.その他


音的にはDYNAUDIO、意匠的にはソナスファーベルをと思っていましたが、


DYNAUDIOは特に変わり無し、ソナスの「The Sonus faber」は思わず目を背けたくなる。


ネットオーディオに関する取り組みは特に無し、全体として2011年のショウは温和しい。


そんな印象を持って会場を離れました。


世界に名だたる製品群を前に個人的な印象を素直に書き込ませていただきました。


大変失礼いたしました。



2011年11月3日木曜日

小津安二郎記念 蓼科高原映画祭

小津安二郎監督と言えば戦後から家族を視点とした映画を撮り続けてきた人である。


その代表作が東京物語ですが、私より年配の方には親しみを感じられていると思います。


 


東京物語を撮り終えてから氏は私の住む茅野市郊外にある蓼科高原の別荘を本拠地として


脚本を練り続けたそうで、その別荘が補修保全されて今も開放されています。


そんな縁から14年前から茅野市では蓼科高原映画祭を開催して来ました。


 


私がこちらに引っ越した後から出来た映画祭です。


小津安二郎の映画にはあまり興味が無く、同時に上映される他の映画もあまり気を引く


作品が無かったので参加(観劇)した事はありませんでした。


 


今年の映画祭には気になっていた「大鹿村騒動記」を上映するので観てきました。


性格俳優の原田芳雄の遺作となった映画です。


舞台は私の所から直線で50Kmほどしか離れていない山間の部落ですが、


村歌舞伎を300年も続けている知る人ぞ知る村の騒動を村歌舞伎に重ねた


たわいもない地味な映画です。


 


病魔と闘いながら撮ったであろうその姿には病のかけらも無くて観ていて安心しました。


何も無い日常の延長線にある些細な事を映画にする....


その何でも無さに懐かしさや安らぎを覚えます。


素晴らしい映画ですので皆さんも是非ご覧下さい。


 


大鹿村では年1回の公演を映画人気で急遽2回目を公演したそうで遠方からも


大勢の人が駆けつけたそうです。


 


引っ越した当時、私の住む近くの部落を自転車で良くぶらつきました。


何と昔は村歌舞伎を演じていたという神楽殿様の建物が半ば朽ち果てていました。


聞くと戦後直ぐの頃から止めてしまったと言う事でした。


過疎化しているので止むを得ないのかと残念に思いましたが、大鹿村は違います。


戦中の男手が無い時には女子供で公演を続けたと言う事ですから関心です。


茅野市を含む諏訪一帯の御柱際も1200年続いていますが、やはり戦中は女子供老人


だけで続けたそうです。


 


映画上映の後には監督と主演女優とのトークがあり、本来なら原田芳雄がここに居る


筈なのにと故人を偲ぶと言うより未だ実感出来ないと言う様な事を話していました。


 


日本映画も最近は少しは元気になっているようですね。


私は藤沢周平の時代劇物が好きで観ますが、最近はNHK朝ドラに出演していた


満島ひかりのファンになって出演している「一命」を観ようかと思っています。


主演男優には興味ないですが。



2011年11月2日水曜日

日立 Lo-D HS-500

ウッドウイルへの既存製品の改造等の問い合わせで一番多いのは
(国産限定で海外製ビンテージ物は除く)恐らくHS-500であろうと思う。
次に多いのがYAMAHAのNS-1000であり、それ以外は特に見当たらない。


NS-1000はプロが手がけた改造又はレトロフィットの例が無いので
問い合わせる方は遠慮がちである。


HS-500はウッドウイル版HS-500としてのレトロフィットの実績が有り、
その一つは作品例としてホームページに掲載しているので
その記事を見て多くの方からお問い合わせをいただいています。


オークションをウオッチしていても出品されたHS-500が落札されなかった
例を未だ知りません。益々落札価格が高くなっているのが気がかりではあります。


HS-500の仕様等は詳細は下記を見て欲しいが、その背景として
1960年代の日本のオーディオ花盛りの時期、それを支えていたのは
御三家を代表とした中小の専門メーカーでした。
http://www.lcv.ne.jp/~woodwill/new-hs-500.html
http://audio-heritage.jp/LO-D/speaker/hs-500.html


文化住宅などと言う核家族化向けに狭い間取りの住宅が未だ
浸透していなかったのか、それでも狭い日本の住宅には
家具風のステレオと同じく家具風のカラーTVが居間に鎮座していました。
それを更にマニアックにしたのがコンポーネントステレオと呼ばれる
アンプやスピーカーを個々に買い揃えて高品質の音楽鑑賞を楽しむ
と呼ばれる商品群です。


そのマーケットを大手総合電機(電気)メーカーが指を咥えて静観する
訳がありません。日立もその一つで、市場に入って来たその目玉として
全ての商品群に低歪み(Low-Distortion)をうたって来ました。
そうLo-Dです。HS-500はその代表商品でした。


日立の本社工場には博士クラスの技術者が1,000人単位でごろごろしていると。
(工業高校の電気課の担任の先生が教師前に日立で働いていて聞いた話ですから間違い有りません)
その知見をオーディオに集中させたのですからそれは凄い事になります。


そうやって名機HS-500は生まれました。
それが現在も人気を博しているのですからすばらしい事です。
その当時の新婚の先生の月給が3万円程だったそうですから、
HS-500はペアで13万円、かなりの高級機であった事が伺えます。
私などはONKYOの16cmフルレンジ(当時1台2千円?)を自作エンクロで
毎日自宅とバイト先のHS-500を聞き比べしていた訳です。


さてレトロフィットの話ですが。
流石に40~50年前の製品ですのでネットワークのコンデンサー/アッテネーター/
スイッチの接点はほぼ寿命が尽きています。エンクロージャーの硬質ホモゲンと呼ばれる
合板も内部で剥がれていますので大音量で無くともビリ付きや濁りが出てこれも寿命。
これらは止むをません、まっとうに製品寿命を尽くしています。


気になるユニットですが、今迄見て来た物は7割方未だ現役で働いています。
これは驚く事ですね。残念ながら駄目なのは相応の期間未使用で湿気の有る場所に
保管していて磁気回路の駆動部分がさび付いて動かないか重くなっている。
カビが発生して振動板が変質している。使用中にアンプが壊れる等の異常信号で
ボイスコイルが半焼け等などです。


運良く正常なユニットを所持されている方は幸せです。
ウッドウイルで生まれ変わらせる事が出来るからです(大変失礼しました)。
その理由は
.想像ですが開発費の殆どがユニットに向けられその他は特筆する物が無い。
.高音質なネットワーク部品を選択出来る。
.高音質なエンクロージャー材料が選択出来る。
.当時の設計思想に無かったラウンドエンクロージャーを採用出来る。
.HS-500エンクロのダンプドバスレフ方式は小型で豊かな低音を出せるが
スピード感や新鮮な音質が損なわれているのでこれを工夫出来る。


新しく生まれ変わったHS-500は素直で飾りが無くて正直者と言う印象です。
何かの音作りやその様ないやらしさが有りません、やはり日立の社風でしょうか。
その音は現代でも充分に通じる素晴らしいものです。


他のメーカー/機種などのレトロフィットを依頼されて試聴した事も有りますが、
全て良くなると思ってはいけません、正直に買い換えを提案した例が
多くありますのでお間違えの無い様に。