2009年8月3日月曜日

JBL ランサーL101がやって来た

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仕事で知り合ったアマチュア楽団で活躍されている方、物欲が失せたので大事に使ってくれるならと機材を譲り受けました。その中に民生用のJBLランサーL101が含まれていました。



中学高校時代は真空管アンプを作り続け、アナログプレーヤーもスピーカーも自作でした。当時の国内スピーカーメーカーには御三家(パイオニア/トリオ/山水)があり、パイオニアを含めユニットメーカーも多くありましたのでコーラルやオンキョウのユニットを組み込んでは音作りに明け暮れる毎日を過ごしていました。



高校では電気店で修理のアルバイトをしていた関係で地元オーディオ専門店と通じて、上客向けの展示会などに顔を出していました(高校生で!)。上記完成品スピーカーメーカーには私を満足させる様な製品は有りませんでした(ハイエンド機は別でその存在を未だ知りませんでした)。パイオニアは音が丸く切れが無い、トリオはやたらとユニットが多く4Way、5Wayなどでまとまりが無く、山水は皆腰砕けで張りが無い、などと評論家気取りで聞いていました。唯一違うのはコーラルのBETAシリーズのBHシステムでした。



そんな展示会のある時に国産機の試聴が終わった最後に大人二人がそんなに大きくも無いスピーカーを重そうに運んで来ました。特別に試聴できる機会を得たとの事でした。鳴らし出した瞬間に頭にガツン!!と来ました、こんな生々しく鮮明な音はきいた事が無い。国産のスピーカーがゴミに感じました。それが初めて知る米国のJBL-L101-Lancerでした。ミルトジャクソンのヴィブラフォンが目前に潤をしく迫り、シェリーマンのドラムが踊り出します。



それ以後あの音を追って貧乏高校生は工夫を重ねて本格的にオーディオにはまり込んで行くのでありました。以後、完成品スピーカーを買った事は一度もありません。BHで低音の迫力を追い、平面バッフルで中低域のクリアーさを追う、個人的な音作りは今もあまり変わらない様です。今ではJazz MchineでL101以上のユニットを揃えていますが、その原点は変わらないのです。



そのランサーL101が我が家にやって来たというのは何という巡り合わせ。当面はホームシアターのメインスピーカーとして活躍して貰います。セッティングが終わり、当時と同じ曲をかけたのは言うまでもありません。





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