2013年8月4日日曜日

スタジオ ジブリ 風立ちぬ

久々に映画館に行って来ました。
最後に観たのは台風直撃の渋谷での「This is Bosanova」でした。

「風立ちぬ」は零戦の主設計者である堀越二郎の幼少期から敗戦までを
捉えた内容の映画です。レンタルビデオまで我慢出来ないのでジブリアニメを
初めて映画館で観る事となりました。

マンガやアニメなど子供のものと思っている方も多いかも?
私も仕事に追われ、仕事に燃えていた30~40年代はそんなものと、
気にもしていませんでしたが、ある時TV放送で「紅の豚」を観て変わりました。
アニメであっても何かを訴えるという表現手法に優劣は無いのだと思いました。
主人公の人生観、宮崎駿の飛行機に対する熱い思い、登場人物の
活き活きとした姿に圧倒されて感心して、それ以降はジブリファンになりました。

映画の中の堀越二郎、10代始めで飛行機の設計者になると決心します。
その思いは変わらずに専門教育を受けて実社会へ。
幸か不幸か日本は戦争へ突き進んだ時代で、飛行機の設計者には
夢を実現する環境は揃っていますが、それは殺戮兵器を生む結果となります。
その葛藤と夢の実現を淡々と描き続けるという、
ジブリ映画では初?の完全に大人の為のストーリーです。

堀越二郎は夢の中で設計を見直します、このブログの読者にも居られる事で
しょうが、私も設計図のミスを何度も夢の中で見つけた事があります。
それ程に集中して、好きな仕事であったのだろうと思いました。

私は子供の頃に作ったプラモデルの二式大艇(辛抱さんがヨットでの太平洋横断が、
事故で遭難して救助された海上自衛隊所属の救難艇US-2の前身)を製作した川西航空機のファンです。
同社は大戦末期には零戦や米国の最新鋭機をも上回る
戦闘機、「紫電改」を開発しており、数年開発が早ければ戦局が変わっていたという
程の高性能機で有りましたが、関係書籍や小説を少々読んでいて、
よく三菱重工業の零戦と比較して出て来ますので戦中の堀越二郎の立場が
どの様だったか少しは理解出来て想像しながらの映画を観たので
尚更に楽しむ事ができました。

丁度読み終えたばかりの小説、吉村昭の「関東大震災」でしたので、
震災時の映像には心が痛みました。
妻、菜穂子が結核で養生する高原病院は私の住む隣町の富士見市にあり、
私の住む団地にはその病院の医師も住んでいたなど、
何かしら意味深く観る事の出来たジブリの最新作でした。

お勧めですよ、夏の一時をお楽しみ下さい。



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