2014年3月8日土曜日

ソチ冬期五輪も終わりました

ウッドウイル開業準備を具体的に始めたのがNAGANO冬季五輪の年でした。


五輪ボランティアを3週間続け、残りの1週間を妻と残った競技の観戦ツアーを行いました。
その春から正社員で働いていた会社を嘱託に強引にして貰って、
月の半分を仕事、半分を開業準備とした訳です。
それも2年間も待たされてやっと実現したのです。


そんな事と、私が北海道育ちで今は長野県住まいと言う事もあり、
冬季五輪の度に(長野/ソルトレーク/トリノ/バンクーバ/ソチ)ホームページや
ブログでは色々書き込みをして来ました(凄いな、五輪が5回も有ったなんて)が、
今回は何となく開催中は何も書き込みをしませんでした。


ソチ五輪TV観戦に備えて我が家のホームシアターは、TVは北京五輪の時に導入した
50インチプラズマのままですが、AVアンプは7.2chで外部パワーアンプ増設で
9.2ch対応型に替え、スピーカーも当然9.2ch対応とする事で、
全て入れ替えました。


私の自慢は完成品スピーカーは自分用には買った事が無い!でしたが、
作る暇が無いので妥協しようとしたら妻に一言、言われて考え直して、
メインは21cmダブルウーファー4Wayの市販品のウーファーをリコーンして修理利用、


サブウーファーはパワーアンプとイコライザーを改造。
センターも市販品を強引に外形寸法を小さくしてラックに押し込む。
フロントHi/リア/サラウンドバックはPA用の市販品を用いて、
音が我慢出来ずに試聴の末に内部チューニングを簡単に行い、
天上から吊す金具は半分自作として何とか体裁と面子を繕って9.2chを実現。
でもソビエト、もとい、ロシアの放送技術者の未熟さとプロ意識の欠如で
9.2chも5.1chも余り差は無かった様でした。


まあ、そんな事より今になってソチ冬季五輪についてブログしているのは、
アスリートに入り込み過ぎて、感動して、自分と比較して....
簡単には書けなかったと言うのが実情でした。


上村愛子の笑顔、高橋大輔の悲運、渡部暁斗のノルディク復活、真央ちゃんの涙、涙
10代若者の活躍、新種目での女性の活躍、相変わらずの役員の出しゃばり....
感動の日々で二度寝の習慣が身についた。


さてパラリンピックはどうなるの?
ロシアは歴史をひきずっており、我が国も目先の領土問題で目が霞む。
米国は存在価値を見定められ、欧州の狸は黙りを決め込む。
思い出すのがボイコットを涙で訴えたレスリング選手、
脳が筋肉で出来ているのだ当時真剣に思ったものでした。


実は今迄書かなかった事なのですが、
長野五輪の時、関係者以外は入れないゲレンデで見た光景です。
アルペン種目のスタートからゴール、リフト乗り場まで、
関係者以外の誰にも邪魔されずにスキーをある程度滑れる者専用に、
巾がスキー板程度のコースが数キロに亘って設置されています。
その中を選手、競技関連者などが猛スピードで通っていて競技が潤滑に成り立っています。


私はそのコースを滑っている時に見てはいけないものを見てしまいました。
ダウンヒル競技のスキー板のワックステストをしていた「昔は選手だったろう人」が、
滑ってゴールして、ストップエリアで止まれなくてフェンスに激突する瞬間を見たのです。
明らかに怪我をしています、責任者は迷惑そうです、テスト走者は必死に無事を訴えて、
仕事の継続を訴えています。


そこで選択されたワックスを使って優勝した選手や国は脚光を浴びて華やか一色。
事実、優勝して強国ぶりを発揮していました。
果たして怪我したテスト走者には何かの恩恵が有ったのだろうか?、治療は出来たのだろうか?
このシーンが未だに頭の隅から離れません。


スポーツとは何か、ビジネスとは何か、華やかな舞台の表と裏、
人の強さと弱さ、人生の悲哀、あのあくまでハイテンションな世界で見た光景の一コマが
今でも忘れられないのです。



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