2011年11月20日日曜日

映画  ミルコのひかり

2005年のイタリア映画で実話を元にした映画です。


10才のミルコが家の銃で遊んでいて暴発、
殆ど視力を失い、法律で盲学校に入る事を強制されて
教会運営の寄宿舎に移る事となります。


個性的なミルコは盲学校の生活にも授業にも馴染めません。
授業と言うよりは職業訓練校の様な教程です。


学力、教養より何が出来るかを問われて、
電話交換手やタイピストの職業に就ければ
学校としては成功と100年も続けている
古い体制の盲学校、国の教育方針があるのです。


微かに光を感じるので反発するミルコは授業を拒否するばかりか
盲人として必要不可欠な点字の訓練も受けません。
でも直ぐに完全に光を失う事になります。


心の広い教師(神父)は彼の興味を巧みに利用しながら、
ミルコの将来を考えて、授業はいいから点字だけは
勉強する様に優しく接します。


その教師の授業で言う一言がミルコにも私にも共感を得ました。
有る音楽会に行ったのだと、演奏家は殆ど目を閉じて演奏している。
目を開けると音楽のイマジネーションが消え失せるのだと。
だから目を閉じて集中して演奏をすのであると。


人の感覚は視覚だけでは無い、五感が有ると!
他の感覚に目を開けと教師は言うのでした。


同じ頃、ミルコはテープレコーダーが学校にあるのを
発見して、音を録音してその凄さに見入ります。
100年続く学校の教育方針で季節の変化を詩にする事を
生徒に課せられます。


ミルコはそれを隠れて工夫してテープレコーダーで
音で再現して見せました。
校長先生は酷く怒ります。
しかしその教師は変わってはいるが悪くないと支持します。


結局は例年詩の朗読で終わる学芸会を
ミルコの才能と共感した生徒達と先生らが協力して
音と詩の演劇を見せて父兄から大喝采を浴びる!
父兄は閉ざされた子供の将来に明るさを感じたのでしょう。


そのミルコは現在、イタリア映画界を代表する音響の
プロデューサーとして活躍しているそうです。


人間の才能や感覚には驚く事ばかりです。
私も何回かこのブログで書きましたが、
演奏会で聞く時には殆ど目を閉じてしまいます。
目を開けると広がったイメージが消える、
あるいはやせ細ってしまうのです。


ピラティスと言う運動を習った時にも
身体感覚を意識しようとすると無意識に目を閉じたりします。
収穫時期の田圃を散歩していてある日何故か違和感を感じる。
何!と意識して分かったら、稲刈りされて地面が5,60cm下がっている。
その地面の高さの違いに戸惑っているのでした。


これは目を開けて散歩しているのですから見ています。
でも幾ら気配に気を配っても分からず、
目を閉じると風の音が来る方向の高さが違っている事に
気が付くのでした。


あと、遊びで春先はヒバリが田圃の上を風に乗って高く
羽ばたいているのを、目を閉じて探すのです。
目筈が(目を閉じていますが)つくとその方向で目を開けて
目のピント(距離を)だけを合わせますと、
6,7割の確率で見つける事が出来ます。
普通に目を開けていると5割がいい所かな?


不思議ですね。



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